教育業界を見渡してみると、スポーツの世界以上に、『お山の大将』がたくさんいるのがよく分かります(館山市の学習塾でも同様です)
(自分が教えたから)
「偏差値20上げました!」
「○○大学(高校)に合格させました!」
(自分のおかげです)
「入塾前300点→入塾後450点」
(この裏で成績が上がらなかったり、そのため退塾していった生徒がたくさんいることは公表していませんが、それは生徒の努力不足ですか?)
自分にとって都合の良い生徒だけを見て、都合の悪い生徒を切り捨てていけば、合格実績を上げることは可能です、中には、自分で自分のことを「一流講師」と称している方や「それに近い表現」をしている方を多く見受けられます
けど、これって人間として、
正直かなり恥ずかしい気がするのは俺だけでしょうか?(苦笑)
さもしく感じるのは俺だけでしょうか?
子供達は自分をよく見せるための道具ではないと思うのは俺だけでしょうか?
子供達の成績が上がったり
子供達が難関大学(高校)に合格するのは
「子供達が他人より努力したからです」
スポーツだって上手くなるには
他人より努力する必要がありますよね
勉強も同じです
学力が上位の仲間はモノスゴク勉強してます
努力してます
これはどこの塾でも、
どこの指導者の所でも絶対に同じなのですが、
この部分に触れてる指導者を見かけることはまずありません
私の教え子たちの中にも素晴らしい学力の子供達がいます
この子たちが持っている資質はたしかに高いです。
けど、
この子たちの勉強時間はそれ以上にモノスゴイです
テスト前の何週間かなど
朝からお弁当持ちで塾にきて夜中まで自習してます
この子たちの学力はこうした自らの努力で手に入れたものです
浮世の多種にわたる欲望を我慢して、
努力し続けて、
自らの力で手に入れたものです
「俺が指導したおかげなどではありません」
そして、こうした生徒たちは当然のように難関校と呼ばれる学校に進学していきます
そんなときはその生徒の手柄を横取りして「〇〇大学(高校)合格!」と声高らかに自慢したくなる思いに駆られますwww
けど、
やはりそれは何か違う!
という気がして
そのはやる気持ちは抑えるようにしています
というのは、その生徒たちの多くはおそらく私が教えていなかったとしても合格しただろうと思われるからです
その生徒や親御さんから
「先生のおかげで」
と感謝されるのは正直言って嬉しいです
でも実際の所は、私がその子を導いたというよりは、たまたまその子の伴走をさせてもらったに過ぎません
複数の子供たちに教えた経験を持つ方ならきっとわかって頂けると思いますが、もともと優秀な(高い資質をもった)生徒を難関校に合格させるよりも、30点の生徒を60点に引き上げて中堅校に合格させるほうが、その何倍もの労力と指導力を要します
でも仮にそれを実現させたとしても、難関校合格でない限り、塾や家庭教師の宣伝に使われることはありません
そう考えると表面上の合格実績と、その塾や先生の指導力は必ずしも一致しないことがわかります
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悲しいことですが
人はしらずしらずのうちに不遜になってしまうものなのかもしれませんね
難関大学(高校)に合格したときこそ
成績が上がったときこそ
「塾や指導者のおかげなどではありません」
「子供達が努力したからです」
「手に入れた学歴(学力)は全て子供達が頑張ったからです」
と言えないものなのでしょうか
他塾や他塾の先生を貶し(それに近い表現をし)
自塾や自分を自画自賛しているのも見かけます
(これって指導力云々以前に人としていかがなものと思いますし子供に悪い影響を与えそうな気がしますがどうでしょう)
世の中さもしい大人たちが多くてかなしくなります